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| 1945年 | 4月 | フランス中部ポワティエ市に生まれ。熱心なカトリック信者の家庭に、 姉2人、兄1人の4人兄弟の末っ子として産まれる。12歳で神学校入学。 |
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| 1960年 | 15歳で料理の道を志し、ホテル・レストラン『ルレ・ド・ポワティエ』に見習いとして就業。料理技術の基本を学ぶ |
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| 1966年 | 21歳『コンパニョン・ド・トゥール・ド・フランス』のメンバーになる。 |
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| 1974年 | 28歳『コンコルド=ラファイエット・ホテル』総料理長に就任。90名の部下を従え、1回に3000人もの食事をこなした。 ここで大勢の人を使う管理手腕と料理の腕を磨き、広い意味での修練を続けた。 |
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| 1976年 | 31歳『フランス最優秀職人賞(MOF)』受賞。 | ||||||
| 1978年 | 33歳、パリ『ホテル・ニッコー』料理部門長に就任。 |
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| 1981年 | 12月 | 36歳で独立。パリ16区のロンシャン通りに 『ジャマン』を開店。開店の翌年3月にはミシュラン一ツ星、その翌年には二ツ星。 |
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| 1984年 | 39歳でミシュランの三ツ星を史上最短記録で獲得。 ●「ミシュラン最高峰三ツ星」受賞の際のコメント 「三ツ星をいただいたという事は、私がそれに値しているというわけではありません。 今、それを証明する権利ができたというだけのことです」 |
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| 1994年 | 1月 | 48歳『ジャマン』を『ジョエル・ロブション』としてパリのレ―モン・ポワンカレ通りに移転拡大。 |
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| 10月 | 東京恵比寿シャトーレストラン「タイユバン・ロブション」の料理を監督・指導。 |
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| 1996年 | 7月 | 51歳「完璧な味とサービスを求め、最高の状態で辞めたい」として『ジョエル・ロブション』を閉店。世界の料理シーンに衝撃を与える。 |
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| 10月 | 同年、『ラストール』顧問に就任。また自らプロデュース/出演のテレビ番組「CUISINEZ COMME UNGRAND CHEF」放映開始、好評を博す。 『ジョエル・ロブション』を閉店した後も、一流レストランやテレビ番組の監修・プロデュース、執筆業において積極的な活動を続け、世界を飛び回る。 |
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| 2000年 | 10月 | ダイナースクラブ創立40周年記念「ジョエル・ロブション&小山裕久 20世紀の晩餐会」開催。 |
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| 2001年 | 2月 | マカオ リスボアホテル「Robuchon a Galera」料理監修顧問となる。 |
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| 2003年 | 4月 | 東京の六本木ヒルズに「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」を開店。 |
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| 2003年 | 5月 | パリのポン ロワイヤルホテルに「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」を開店。 |
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| 2004年 | 4月 | 東京日本橋タカシマヤに「ル カフェ ドゥ ジョエル・ロブション」を開店。 |
| 2004年 | ホテルメトロポール・モンテカルロに「ジョエル・ロブション モンテカルロ」を開店。 |
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| 2004年 | 12月 | 東京恵比寿に「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」をリニューアルオープン。
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| 2005年 | 9月 | ラスベガスMGM GRAND HOTELに「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」「ジョエル・ロブション」を開設。 |
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